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新・自分と野球とブラック(?)と。

燕馬鹿のブログ跡地。2010.07.17をもって日記の更新は終了。結婚を機に一瞬再開したけど今は再びめも置き場。
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11.23.00:42

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10.11.22:15

「プレーで魅せて流れを引き寄せ」 まさに脇役、代の意志。

ちょっと今日も横浜に行ってきました。
今月だけで2回も横浜に行くことになろうとは。
どうも、D-BOSです。
はじめに名乗ると決めてから1年以上経って
やっと名乗ることに慣れてきました。
あぁ素晴らしき学習能力のなさ。

えと、横浜に行った話はまた今度するとして、
今日もまた野球の話を。まぁ燕馬鹿のブログですしね。

CS争いで影に隠れてしまってはいましたが、
今年もまた戦力外通告者が出されました。

育成枠から支配下登録すらされることなくプロを去る人。
やっと去年プロ初ヒットを10年目で打ったのに去らねばならない人。
ゴミに捨てられながらもヤクルトから一度限りのチャンスをもらった人。
一時期ローテがみんな怪我で厳しいときに先発ローテを回してくれた人。
44歳という年齢でありながら開幕ローテに名を連ね勇気をくれた人。

なんかもう全員に思い出があります。
…ホントに燕馬鹿なんやな。
そりゃ毎年新人が入ってくるんだから
解雇が出るのは当たり前ですけど、
やっぱりこの季節は寂しくなりますね。

さらに、上に書いた人々の他に今年は
花田真人投手、城石憲之選手の両名が引退します。

まずは花田真人投手。
どうしよう、真人っていうと筋肉が出てくる。
2005年から3年連続40試合以上の登板、
低迷期をどうにか支えてくれた中継ぎ投手の1人です。
防御率は基本的に3~4点台と数字上は正直微妙なとこですが、
踏ん張らなければいけない試合で踏ん張ってたイメージも強いです。
ゴミの駆除がとても上手かったという記憶も。
あと、忘れてはならないのが、登場曲が「PLAY THE GAME」だったこと。
自分の好きだったロードオブメジャー解散前最後のシングル。
花田が登板して流れるたびに口ずさんでました。
本当に記録よりも記憶に残る選手だったと思います。
10年間お疲れ様でした。


そして城石憲之選手。
97年オフに日ハムからトレードでヤクルトに入団。
2001年の日本一を一軍で味わったうちの1人。
去年まで3年間、選手会長も務めていました。
守備が上手いからって守備固めに入れると大事な場面でお手玉したりと、
個人的にはそのプロらしからぬ微妙なプレーが昔からかなりツボでした。
微妙だからこそ流れを引き寄せる力があるのか、
こんな試合をやってくれたりもしました。
自分の中では城石と言ったらその試合ってことになっているくらいです。
あとは昔、止めたバットがサヨナラ打とかいう珍プレーもあった気が…。
城石おもしれー(ぅおい
こちらも記録より記憶に残る選手だったと思います。
14年間、本当にお疲れ様でした。


2人の引退試合&セレモニーは明日です。
自分は行けませんが、のような名試合を期待してます。
ついでにゴミを焼却して日本シリーズ出場へ弾みをつけるんだぜっ。
今日も吉見の単独最多勝を防いだわけだし。
落合ざまぁ。
…この言葉が来週の今ごろにまた言えますようにっ。
ではでは。
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